やさしさから生まれるもの

古本屋に行くのが好き。

悩んだり、答えが見つからないときには神社か本屋に行く。

 

何かしら、「あ」と思うことがある。

本屋は、大型書店が好きだけれど、古本屋のほうが楽しい。

 

彼氏とケンカになり(ちなみに継続中)、仕事もままならず(転職活動中)、ついでになんだかスッキリしない(なんじゃそら)な先週。

一冊50円で売られていた

 

「やさしさから生まれるもの」という本。

1975年発売(昭和57年!)で、(多分)活版印刷

なんて古い本。

こんなに何十年もたっているのに日焼けもない。きれいなまま。

よほど、大事にされたんでしょうね

 

 

やさしさ、について、考えてた時だった。

やさしいよねと言われることが多いけど、どこか下心があるからではとか

自分に疑いを持ってしまうときってあるとおもう。

(と言ったら、「そんなことないよ、あたしって優しいよね?って旦那に確認するときあるよ」と友人が言ってた。)

やさしさ、は作り出すものだろうか。

息をするようにみんなが必要なくらい出し入れできるものだろうか。

「やさしいだけで結婚はできない」と聞いた。

やさしいは、なんの条件に含まれるのだろう。

 

その問いに答え出ないけど、でもただ、

やさしい人だと思われたくて時々がんばっちゃっていたのかなともおもう。

 

やさしくしたい。

喜んでいてほしい。

やさしくしたら、穏やかななにかが帰ってきたらうれしい。

それは愛情、のようなもの。

柔らかな気持ちで、おくりたいもの。

 

なんて、ことをぐるっと考えた

 

西の魔女が死んだ 作品集

 

いつ読んだのが最初だったのか、

 

もう覚えていない。

 

たぶん、どこか図書館で出会ったのだ。

 

内容も覚えているのに、

 

どうやら私の本棚にはなかった。

 

私が梨木果歩に出会った最初の本。

 

昔から、「魔女」「妖精」「魔法」のファンタジーセット。

 

目には見えないせかい。

 

ハーブ、花、木、紅茶の香り

 

ふわりと包んで薫る。

 

鶏の鳴き声を少しうざったく感じたし、

 

おばあちゃんの穏やかな

 

「ナイ ナイ スウィーティ」も

 

ラベンダーのシーツにくるまれて深く息をつく感覚も。

 

いつもジャージで、畳6畳間にちぐはぐな柄の布団でねるわたしが

 

カントリーな部屋の木のベッドでリネンの真っ白なシーツで寝起きした。

 

自分がまいになり、

 

おばあちゃんのことを心から敬愛していた。

 

 

私の祖父は1年半前に亡くなった。

 

小さな離島の漁師だった。

 

小説のように、だいすき、と言ったことは一度もない。恥ずかしくって。

 

祖父はいつもわたしの話を聞いて、

 

大きい手で撫でて「それでいんだ」と満足そうに笑って言葉を結んだ。

 

誰かが亡くなった後は、

 

終わり、ではない。

 

喪失でもない。

 

あたたかな、別離だとおもった。

 

ほんのひとたび。また会う日まで。

 

たとえ姿が遠くにいっても、


祖父の声は穏やかにこれからも私と寄り添うのだ。

 

西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集

 

じぶんさがし

4年働いた会社をやめた。

 

社会や会社や人間関係のいろんな場面で、

 

自分を見失うときは時々あるのだろうけど

 

どんなものが好きなのか何がしたいのか

 

わからなくなって、

 

ほかの「これが好きだったかも!」と理由を探して

 

自分を繕うとすることをやめたかった。

 

もうずっと、自分と向き合わなかった。

 

気付くとお金も服も生活も体も、ほったらかしで、ぐちゃぐちゃだった。

 

日々のこと。

 

猫のこと。

 

本のこと。

 

そしてお店の準備をひとつずつわたしを探しながら

 

書きためていこうと思う。